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年表でみる『ライスシャワー』ってどんな馬だったのか

目次

  • ライスシャワーのプロフィール
  • ライスシャワーの年表・戦績
  • ライスシャワーの競走成績

ライスシャワーのプロフィール

出典:wikipedia

  • 血統:父リアルシャダイ 母ライラックポイント
  • 毛色:黒鹿毛
  • 生年:1989年3月5日
  • 死亡日:1995年6月4日
  • 生産:ユートピア牧場
  • 馬主:栗原英雄
  • 調教師:飯塚好次 (美浦)

ライスシャワー 年表と戦績

1989年
3月5日 父リアルシャダイの元 ユートピア牧場にて誕生する。
小柄ながら健康で体躯のバランスの良さを高く評価され、購買の申し入れもあった。

飯塚はライスシャワーの印象について「男馬にしては体が小さい。それもあって大物感はなく、もちろんグレードレースでどうの、といったことは少しも考えなかった。ただ小さいけれど、いかにもバランスがいい体型なので、うまくいけば中堅クラスまではいくかな、と思いましたよ」と述べている。

1991年
8月10日 新潟の新馬戦(1000メートル)で2番人気でデビューしクビ差で勝利します

9月1日 続く新潟3歳S(GⅢ)では、スタートで遅れて後方からのレースとなり、馬群の内側に包まれたまま11着

9月21日 3戦目の芙蓉S(OP)を勝ったが、骨折が判明し、その後6カ月間休養を取ることとなります。

【1992年】
3月29日 復帰戦となったのが、春のスプリングS。そこには前年の3歳王者のミホノブルボンも出走いました
結果、ミホノブルボンが2着に7馬身差つけて優勝し、ライスシャワーは4着となります。

4月19日 
皐月賞(GⅠ)に出場するが8着
5月10日 NHK杯(GⅡ)も8着となってしまいます

5月31日 東京優駿(日本ダービー)(GⅠ)に2勝馬ながら出走にこぎ着けます。優勝したのはミホノブルボンですが、ライスシャワーは16番人気の評価の中、2着(4馬身差)となったことで評価は一転することになり、菊花賞での巻き返しを図ります

9月27日 夏は休養し、セントライト記念(GⅡ)で復帰します。3番人気の評価の中、レガシーワールドにアタマ差の2着。

10月18日 続く京都新聞杯(GⅡ)ではミホノブルボンの2着(1馬身1/2差)と着差が縮まり、菊花賞への自信となるレースになります。

11月8日
 この菊花賞(GⅠ)ではミホノブルボン史上2頭目の無敗のクラシック3冠への期待が寄せられていた。そんな中ライスシャワーは勝利の機会を窺います。
ミホノブルボンをマークしていたライスシャワーは、直線でミホノブルボンをかわし、レコードで優勝。三冠の夢を阻止します。

勝利したものの、無敗のクラシック3冠を阻止したライスシャワーには拍手や歓声はなく、観客には罵声を浴びせられることになります。

12月27日 有馬記念(GⅠ)では1番人気のトウカイテイオーをマークするも、騎手がトウカイテイオーの不調に気づかずスパートが遅れ8着に終わります。
騎手の的場はこの競走について「僕が乗った中で、ライスシャワーに対して最も失礼なレースだった」と述べています

【1993年】

2月21日 目黒記念(GⅡ)に出場し2着

3月21日 日経賞(GⅡ)では1番人気になり、期待通りの結果を残す。

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4月25日 天皇賞春(GⅠ)史上初の天皇賞春3連覇が掛かっていたメジロマックイーンに期待が寄せられていた。
ライスシャワーはメジロマックイーンを直線でかわし、菊花賞同様レコードで優勝。メジロマックイーンの3連覇の夢を打ち砕いてしまいます。

ゴールの直後、杉本清は「関東の刺客、ライスシャワー。天皇賞でも圧倒的な人気のメジロマックイーンを破りました」と実況。この競走以降、ライスシャワーには「刺客」という異名を冠することになります。

・ライスシャワーは実力で勝利したことを示すため、天皇賞秋に狙いを定めますが、その後連敗を重ねることとなります。

9月19日 前哨戦の産經賞オールカマー(GⅢ)では、後続を大きく離して逃げたツインターボを捉えることができず3着。

10月31日 春秋連覇を目指した天皇賞秋(GⅠ)ではⅠ番人気となるが、直線で伸びを欠き6着に終わります。

11月28日 その後のジャパンカップ(GⅠ)では14着
12月26日 有馬記念(GⅠ)でも8着と大敗する。
負けるたびにライスシャワーの実力にファンは疑問を抱くことになります

【1994年】

2月13日 京都記念(GⅡ)に出場し5着
3月20日 日経賞(GⅡ)では2着とスランプ脱出の兆しが見え始めます。

しかし、天皇賞春の前週である4月16日の調教中、3歳時に骨折した右前管骨に再び故障してしまいます。
これをきっかけに引退し、種牡馬との道が模索されたが、長距離競走以外の実績に乏しかった点や、小柄な馬体が敬遠され受け入れ先が見つからず、現役続行が決定する。

12月25日 有馬記念でライスシャワーは復帰することになります。復帰戦でありながら3着と上々な成績を残します。

【1995年】
2月12日 しかし、京都記念(GⅡ)では6着
3月19日 続く日経賞(GⅡ)でも6着に敗れ、ファンからは完全に終わった馬と言われます。

4月23日 天皇賞春(GⅠ)ライスシャワーは不死鳥のごとく復活を遂げます。4番人気という評価だったが、ステージチャンプの追撃をハナ差抑えて2年前の天皇賞春以来の復活勝利だった。

6月4日 宝塚記念(GⅠ)ファン投票でライスシャワーはナリタブライアンを抑えて1位になった。
だがライスシャワーは天皇賞春の疲れが取れず、出走を回避しようと考えていたが、阪神淡路大震災の影響で菊花賞、天皇賞春と同じ舞台である「京都競馬場」で行われることとなり、また、ファンの声もあったことから出走を決意

しかし、この決断が最悪の結果を招きます。

ライスシャワーは第3コーナー過ぎで故障を発生。
骨が突き出るほどの骨折をしてしまい、手の施しようがない状態となります。

痛みで苦しむライスシャワーを診療所へ運ぶこともできず、コース上で安楽死の措置が取られます。

死後、京都競馬場にはライスシャワーの遺髪が納められた記念碑が建てられました。

出典元:JRA日本中央競馬会

競走成績

生涯成績 25戦6勝
獲得賞金 7億2949万7200円

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